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コペンハーゲン便り17(学校訪問4-3)

 Frijsenborg Efterskoleの続きです。ここで話を生徒にもどします。

 ここはともに歌を唄うこと、ストーリーテリング、そして対話を通して共同性をはぐくむグルントヴィとコルの思想に基づいた学校です。多くのエフタースコーレがこうした考えに基づいており、ここもその1つです。しかし、本校が価値として掲げる信頼と民主主義、共同性、お互いへの敬意、責任には特別な重みがあるように感じられました。

 実は本校の生徒の25%(二十数名)は難聴児です。何らかの理由により内耳に損傷を受けたため、人工内耳(cochlear)を装用しています(cochlearについてはネットで調べてください)。

 もともとは農村部中心に若者に教育の機会を提供していたのですが(隔年で男子と女子を受け入れ)、1980年代の校長が自ら難聴児について学び、1983年から難聴児の受け入れを始めたのだと宿直のJannne先生(本校在勤30年)が教えてくれました。難聴児の受け入れでは歴史が長く、デンマークでも知られた学校だということです。校舎移転で校舎も新しくしました。現在のJens Petersen校長(2004年~)が来たときには、特別支援教育の補助金も獲得するなどして学校の充実を図ったとのことです。

 写真を見てください。ふつうの天井、レンガの壁、床に見えますが、実は特別な材質や設計で作られており、天井も水平ではなく斜めにしてあります。非常に高価なものだそうです。

 でも、ここの難聴生徒たちは知的障害があるわけではありません。現代の高性能な人工内耳を付ければ、何もこのエフタースコーレに来る必要はないのではないか。私は本校で6名の生徒にインタビューしました。インタビューした生徒の中には難聴の生徒も含まれていました。Folkeskole(公立学校)での経験を聞くと、たいへん厳しい状況に置かれてきたことが分かりました。長期にわたってイジメが続いたり、他の生徒から暴力が振るわれたり、不登校になったケースもあり、聞いていて本当に悲しい気持ちになりました。残念ながらこれらのケースでは、学校はイジメ等を解決することができないままだったということです。

 本校にはこうした難聴の生徒の他に、身体障害をもつ生徒も受け入れています。私が行ったときには車いすに乗った生徒が1名いました。また軽度発達障害のある生徒や公立学校であまりよくない経験をしてきた子どもたちも入学してきています(難聴や身体障害のある生徒の受け入れは明確に方針としているが、これらは入学後に分かるとのこと)。

 生徒たちにどうしてこの学校を選んだのかと聞いたら、多くの生徒が小規模だからと答えます。300人以上にもなる大規模なエフタースコーレがあるが、そんな学校はとても行けないと。そういう話を何度か聞くうちに、生徒たちは安全で信頼しあえる関係を求めていると分かってきました。

 上のような状況の生徒は自己肯定感がとても低く、自信がもてない状態でこの学校に入学してくる。しかし、先生たちに聞くと、ここで安心な環境で過ごせば学力も一気に伸び、またいろいろな経験をすることで自信も付いてくるということです。私が到着したときに挨拶してくれた生徒も難聴の生徒です。彼女はいつも引っ込み思案で人前に出ることができずにいたが、初めて人前で話したのがあの挨拶だったんだと校長先生は教えてくれました。

 長くなったので、続きは次回に回します。

(写真は、特別な配慮で作られた天井、壁、床、そして壁にかけられた卒業写真の1枚(1982/83年度、この中央に難聴児受け入れを始めた校長先生の写真がある)。)

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